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露地草履
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露地草履(ろじぞうり)は、露地を歩くときに履く、竹皮や藺草を二重に編んで作った草履です。
露地草履は、数寄屋草履(すきやぞうり)ともいいます。
雨天や雪の場合は、露地草履は履かず、露地下駄を履きます。
『長闇堂記』に「昔はわら草履にて有しを、利休より雪踏となれり、足袋も昔ははかざりしなり」とあります。
『茶道筌蹄』に「草履 昔はひとへなりしを利休竹の皮の裏付を好む、是雪踏の始り也」とあります。
『随流斎延紙ノ書』に「利休時代、へちくわんと云侘、皮そうりに牛皮にて裏付、路治へはきたるなり、其時分はへちくわんと申なり、今はせきだと云」とあります。
『南方録』に「露地の出入は、客も亭主もげたをはく事、紹鴎の定め也、草木の露ふかき所往来する故如是、互にくつの音、不巧者巧者をきヽしるといふに、かしかましくなきやうに、又さしあしするやうにもなく、をだやかに無心なるが巧者としるべし、得心の人ならで批判しがたし、宗易好みにて、此比草履のうらにかわをあて、せきだとて当津今市町にてつくらせ、露地に用られ候、此事を聞申たれば、易の云、げたをはく事、今更あしきにはあらず候へども、鴎の茶にも、易ともに三人ならで、げたを踏得たるものなしと鴎もいわれし也、今京堺奈良にかけて、数十人のすき者あれども、げたをはく巧者は、僧ともに五人ならではなし、これいつもゆびを折事也、されば得道したる故は云に不及事也、心得なき衆は、先々せきだをはきて玉はれかし、亭坊別而かしましさの物ずきありと笑はれし」とあります。
『茶道早合点』に「雪踏 間に皮を入て、しめり表へとをらぬためなり、利休物ずきなり、是を数寄屋ざうりと云」とあります。
『本朝世事談綺』に「雪踏は千の利久初て作之らしむ、雪中の露次入にしめり通るを忌て草履に又草履を重ね是を裡付草履と云、猶湿りの透らぬことを計りて裡牛皮を以て造る、雪の上を踏むと云理に因て雪踏と名付たり、今常用之」とあります。
『類聚近世風俗志』に「元文以前、裡付草履は表裡の間に獣皮を挟み製す、大名玄関庭及び茶客の用とす、値貴きこと雪踏に勝る」とあります。
『和漢三才図会』に「屩靪 たちはめ、こんがう、和名太知波女、俗云古牟古宇。靪補履下也、和名抄云、屩靪下賎人以牛皮補著屩下也、按屩靪(今云古牟古宇、正字名義未詳) 織稈心為屩、其裏下著薄皮、或表張錦以婦人之履物、古所謂錦鞋、錦鞋之遺風乎、其尾窄尖者名尻切(俗云世木礼)、出泉州堺。雪踏 茶人千利休始用之、路次如湿注時著之、以笋皮為表、以牛皮為裏、今専日用之履、今又有全以皮作者甚野卑也」とあります。
『茶式湖月抄』に「路次草履 裏付なり、間へ革入、鼻緒三つより、太さ廻り一寸六分、向ふ鼻緒上へ二つかけ二筋にして下方二つなひて」とあります。
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