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名越家
名越浄祐 名越善正 京名越家 江戸名越家
名越家(なごしけ)は、京都三条釜座(かまんざ)に住した鋳物師の一派です。
名越家は、家伝では京都三条釜座のなかで最も古い家系と称し、源頼朝の正室北条政子の弟北条義時の二男で名越北条家の祖である朝時の五世の孫を称する七郎左衛門を初代としています。
名越家は、五代弥七郎が剃髪して弥阿弥と号し、室町幕府第八代将軍足利義政に仕え初めて茶湯釜を鋳たといいます。
名越家は、十代弥七郎(浄祐)は西村道仁の師といわれます。
名越家は、十一代弥七郎(善正)は徳川家康の釜師といわれます。
名越家は、十一代善正の長男三昌が京名越家の初代となり、次男家昌が江戸名越家の初代となります。
名越家の系譜は、十代浄祐以前については信用しがたいとされています。
名越昌孝の『鋳家系』に依った『茶家酔古襍』に「七郎左ヱ門 北条義時二男、名越、従五位下式部、亟朝時五代。弥七郎 実同姓、尾張守高家の子。弥五郎。弥七郎。弥七郎 薙髪して弥阿弥と号す、文明二年に死す、東山公に仕奉る、初めて茶の湯釜を鋳て献す、依て鋳物職に仰付らる。弥七郎 大永六年死す。弥七郎 天文四年死す。弥七郎 信長公に仕奉、文禄二年に死す。弥五郎 天正八年死す。弥七郎 薙髪浄祐と号す、慶長十一年死す。弥七郎 薙髪して善正と号す、元和五年死す」とあります。
『釜師由来』「一京作 名越彌右衛門 元祖浄味事 古織部公御釜師、慶長年代」(『釜師由緒』に「一京作 名越善正 家康公御釜師、同時代、浄味彌右衛門祖也 此作蘆屋にあらず、天明にあらず両作兼而上作者也 天文、弘治、永禄の時代に當る」、『釜師之由緒』「一、京作 紹鴎時代天下一 西村道仁 名越善正也、道仁は信長公御釜師、我家之祖也」)とあります。
『名物釜所持名寄』に「一猿釜 鐶付猿 石原宗閑 田中全斎 岸部五郎兵衛。蘆屋釜書付古き箱に入れ有、紹鴎時代、道仁、善正両作の内の物也。」とあります。
『茶道筌蹄』に「浄味 先祖を名護屋越前入道善正と云ふ、東山時代也、この後詳ならす、子孫に至て大仏の鐘を製するものを初代浄味と云ふ、其子昌乗斎、其子三典浄味、原叟時代也、これより後は正兵衛代作なり、〓(丸の中に常)初代より今にこの印をもちゆ」とあります。
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