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名越善正

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名越善正

名越善正(なごし ぜんせい)は、京都三条釜座(かまんざ)の釜師で、西村道仁とともに文禄慶長(1592〜1615)ころ京作釜の草創をなし、天下一を号します。
名越善正は、名越家十代浄祐の子で、名越家十一代、通称は「弥七郎」(やしちろう)、剃髪して「善正」(ぜんせい)と号し、元和五年(1620)四月没といいます。
名越善正は、遺品で確かなものは現存せず、西村道仁との合作の「猿釜」が『名物釜所持名寄』に載せられているのみです。
名越善正は、徳川家康の御釜師になったともいいますが詳らかではありません。
名越善正は、長男弥右衛門(浄味)、二男弥五郎(家昌)、三男弥吉郎、四男弥七郎(浄正)があり、二男の弥五郎(家昌)が徳川将軍家に召され江戸に下向し江戸名越家を立てたため、長男の弥右衛門(三昌浄味)が京名越家の初代となります。

『茶家酔古襍』に「弥七郎 薙髪して善正と号す、元和五年死す」「道仁 名人也、浄祐の門人又善正の門人とも云、未詳、九兵ヱの父也」とあります。
『釜師由緒』に「一京作 名越善正 家康公御釜師、同時代、浄味彌右衛門祖也 此作蘆屋にあらず、天明にあらず両作兼而上作者也 天文、弘治、永禄の時代に當る」(『釜師之由緒』「一、京作 紹鴎時代天下一 西村道仁 名越善正也、道仁は信長公御釜師、我家之祖也」)とあります。
『名物釜所持名寄』に「一猿釜 鐶付猿 石原宗閑 田中全斎 岸部五郎兵衛。蘆屋釜書付古き箱に入れ有、紹鴎時代、道仁、善正両作の内の物也。」とあります。
『茶道筌蹄』に「浄味 先祖を名護屋越前入道善正と云ふ、東山時代也、この後詳ならす、子孫に至て大仏の鐘を製するものを初代浄味と云ふ、其子昌乗斎、其子三典浄味、原叟時代也、これより後は正兵衛代作なり、〓(丸の中に常)初代より今にこの印をもちゆ」とあります。
『新選釜師系譜』に「善正 通称彌七郎、西村道仁と共に文禄慶長頃京作釜の初めをなす、元和五年四月歿」とあります。

     
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