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名越三昌

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名越家

名越三昌(なごし さんしょう)は、安土桃山時代から江戸時代初期の京都三条釜座(かまんざ)の釜師です。
名越三昌は、名越善正の長男で、名乗は満頼、三昌、通称を「弥右衛門」(やえもん)、剃髪して「浄味」(じょうみ)と号します。のち代々浄味を名乗るため、世に「古浄味」(こじょうみ)また「三昌浄味」と称されています。
名越三昌は、弟の弥五郎家昌が江戸に分家したため、京都名越家初代とされます。
名越三昌は、京都方広寺の大梵鐘を鋳造するにあたり総棟梁として、弟弥五郎家昌、対馬守国久、飯田助左衛門らを棟梁とし、各地から参集した鋳師三千人余を統率し、慶長十九年(1614)四月十四日越前小掾に任じられます。
名越三昌は、寛永十五年(1638)七十余歳で没します。
名越三昌の作風は、細かい絹肌で、地紋も綺麗で典雅なものといいます。
名越三昌は、弟子に大西家初代大西浄林がいます。

方広寺梵鐘銘文に「旹慶長十九年甲寅孟夏十六日 大檀那正二位左大臣豊臣朝臣秀頼公 奉行片桐東一正豊臣且元 冶工京三條釜座名護屋越前少掾藤原三昌 前住東福後住南禅文英叟清韓謹書」とあります。
『茶家酔古襍』に「三昌 弥右ヱ門、薙髪して浄味と号す、善正の一男、世に古浄味と称す、名人、寛永十五年死す」とあります。
『茶道筌蹄』に「浄味 先祖を名護屋越前入道善正と云ふ、東山時代也、この後詳ならす、子孫に至て大仏の鐘を製するものを初代浄味と云ふ、其子昌乗斎、其子三典浄味、原叟時代也、これより後は正兵衛代作なり、〓(丸の中に常)初代より今にこの印をもちゆ」とあります。
『釜師由来』に「名越彌右衛門 元祖浄味事 古織部公御釜師、慶長年代」とあります。
『名物釜所持名寄』に「浄味作 一四方筒釜 光悦好 浄味ト文字 阪本周斎。一常張釜 大逢庵ト文字在 家原自仙」とあります。

     
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