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江戸名越家

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江戸名越家

江戸名越家(えどなごしけ)は、名越家十一代善正の次男家昌が、徳川幕府に召し出されて江戸に下り興した釜師の家です。
江戸名越家は、代々弥五郎を通称とし、幕府御用釜師として幕末まで続き、釜作りは現在も行われています。
江戸名越家
初代 家昌、寛永六年(1629)歿
二代 政信、貞享二年(1685)歿
三代 道正、宝永五年(1708)歿
四代 昌美、延享三年(1746)歿
五代 昌道、宝暦十二年(1762)歿
六代 建福、号浄越、大西五郎左衛門二男、文政二年(1819)歿
七代 昌明、初名建明、号一釜斎、文政十年(1827)歿
八代 昌孝、本名山田権次郎、昌明養子、嘉永四年(1851)歿
九代 昌芳
十代 昌晴、本名小幡仁之助、昌孝女婿、明治四十四年(1911)歿
十一代 昌次
十二代 昌利
十三代 昌輝
十四代 昌広

『茶家酔古襍』に「家昌 弥五郎、随越と号す、善正三男、名人、慶長十九年四月十四日越中少掾に任す、被召出御用相勤年々江戸へ下る、寛永年中大西村長井并堀浄甫を召連江戸へ下り其後寛永六年京都に於て死す。正信 弥五良、上手、父家昌と同々年々江戸へ下る、寛永十七年より江戸居住、遠州公御好蝉釜、イタラ貝釜、石州公御好雲龍并風呂、浮桶写、棗形、富士形釜、雁皮風呂、貞享二年死す。道正 弥五良、上手、石州公時代、宝永五年死す。昌義 弥五良、上手、宗徧時代、延享三年死す。昌道 弥五良、宝暦十二年死す。建福 弥五良、薙髪後浄越と号す、文政二年死す、土斎所持山の井釜写、不白好菊の銚子、木魚手炉。昌明 弥五良、初名建明、一釜斎と号す、文政十年死す。昌孝 初名権次良、今改弥五良。」とあります。

     
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