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名越昌晴
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名越昌晴(なごし まさはる)は、江戸時代初期の釜師で、江戸名越家十代です。
名越昌晴は、名乗は「昌晴」(まさはる)、通称を「弥五郎」(やごろう)、入道名は詳でありません。
名越昌晴は、旧姓を小幡仁之助といい、八代名越昌孝の門人で、九代昌芳に嗣子がないため、昌孝の長女マス子の婿となって十代を継ぎ、幕府の御釜師となります。
名越昌晴は、徳川家伝来の東山御物雲龍釜を修補、嘉永五年(1852)十一月江戸城内宝蔵大火火災のあと文久二年(1862)閣老の命で名物釜六箇を修補し、その功により黄金一枚を下賜されます。
名越昌晴は、八代昌孝の著した『鋳家系』を改正増補し安政六年(1859)印行します。
名越昌晴は、門人に松澤浄勝、堀浄弘、山口浄雄、一ノ瀬浄芳、堀浄親などが出ています。
名越昌晴は、明治四十四年(1911)八十一歳で歿します。
安政三年(1856)の『安政武鑑』の「御数寄屋小細工」に「三十石御釜師すきや丁名越弥五郎」とあります。
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