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京名越家
名越三昌 名越昌乗 名越三典
京名越家(きょうなごしけ)は、京都三条釜座(かまんざ)の釜師で、名越善正の子が京都名越と江戸名越とに分家したときに、善正の長男 名越三昌(さんしょう)を初代とする家で、代々「弥右衛門」(やえもん)を名乗り、「浄味」(じょうみ)と号します。
京名越家
初代 三昌、寛永十五年(1638)没。
二代 昌高、寛永十六年(1639)没。
三代 昌乗、宝永五年(1708)没。
四代 三典、享保七年(1722)没。
五代 昌辰、享保九年(1724)没。
六代 昌光、宝暦九年(1759)没。
七代 昌永、天明四年(1784)没。
八代 昌興
九代 昌暉
十代 昌次
十一代昌文
二代昌高を代に入れないものもあります。
四代三典より後には釜作はなくなり、下間庄兵衛が代作し、綾小路新町東入るに御用屋敷と称し引越したともいいます。
九代昌暉は、鋳金の方では昌延ともいいます。
『茶家酔古襍』に「三昌 弥右ヱ門、薙髪して浄味と号す、善正の一男、世に古浄味と称す、名人、寛永十五年死す。昌高 弥右ヱ門、寛永十六年死す。昌乗 弥右ヱ門、薙髪して浄味と号す、宝永五年死す。三典 弥右ヱ門、初名昌晴、薙髪して浄味と号す、世に三典浄味と称す、享保七年死す。某 弥右ヱ門、享保十年死す。昌光 弥右ヱ門、薙髪して浄味と号す、宝暦九年死す。昌永 弥右ヱ門、天明四年死す。昌興 弥右ヱ門、薙髪して浄味と号す。昌延。」とあります。
『茶道筌蹄』に「浄味 先祖を名護屋越前入道善正と云ふ、東山時代也、この後詳ならす、子孫に至て大仏の鐘を製するものを初代浄味と云ふ、其子昌乗斎、其子三典浄味、原叟時代也、これより後は正兵衛代作なり、〓(丸の中に常)初代より今にこの印をもちゆ」とあります。
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