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京畳

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茶室

京畳(きょうだたみ)は、京都を中心に用いられてきた畳で、一枚の大きさが長さ六尺三寸、幅三尺一寸五分(1909×955o)の畳です。
茶室の畳は、炉の大きさや茶道具が、京畳の大きさに合わせて決められ、置き合せも京畳の目数を基準とされているので通常京畳を使用します。但し、田舎間を用いる流儀もあります。
京畳の縁幅(へりはば)は、九分から一寸ほどで、綿または麻の黒縁を用い、床の間は小間では黒縁、広間では白地の綾に雲形や菊花などの紋を黒く織り出した高麗縁(こうらいべり)が多く用いられています。
京畳の目は、目幅の一部が畳縁の下に隠れたものを「半目」(はんめ)、全部現れているものを「丸目」(まるめ)といいます。
京畳の目数(めかず)は、縁内丸目六十四目のものが正式とされますが、現在は機械化のため出回っている畳の多くが縁内六十三目半で、縁際の一方が半目になります。
京畳は、本間畳ともいい、京間(本間)という畳の寸法を優先して柱の位置を決めていく「畳割り」(内法制)のため、部屋の大きさが変わっても畳一枚の大きさは一定です。これは京都では畳や建具は個人持ちで、引越しする際に持ち込んで用いるのが一般的だったからといわれます。これに対し、東日本の柱の真から柱の真までの間隔を基準寸法とする「柱割り」(真芯制)は、柱間(柱と柱の間の心々寸法)を六尺(1818o)とし、ここから畳の大きさを決めていくもので、「田舎間」「関東間」「江戸間」などと呼ばれ、柱の位置や柱の太さにより畳の大きさが決まるため、結果的に部屋の大きさや間取りにより微妙に畳の大きさが異なります。また他に主に愛知・岐阜・三重地方で使用される「中京間」などがあり、畳の寸法としては、一般的に、田舎間五尺八寸×二尺九寸(1757×879mm)、中京間六尺×三尺(1818×909o)となります。一間の長さが異なることについては、秀吉の行った「太閤検地」と江戸幕府の行った検地竿との違いが、六尺三寸の京間、六尺の田舎間の一間の違いとなったといいます。

『茶道筌蹄』に「畳 六尺三寸にかぎる、京間は厚さ一寸七分、大阪は一寸八分」とあります。
『茶傳集』に「一畳のへりは、書院広座敷より二畳一畳半の侘小座敷に至る迄、一寸べり定法也」とあります。
『貞要集』に「廿八 畳敷様の事。一、畳にさし表さし裏有、床畳は床縁にさい表成申候様に敷申候、道具畳大目ぬめ敷居の際は、水指置合るに畳の目数に合る也、畳縁曲り柱ぬめ敷居際まで、一分二分幅狭く成ても、丸目を見申候様に畳屋へ好可申候、畳の縁半目に懸らぬやうに致候、総て床形に丸一畳を見申候様に敷申候、四畳半敷様は、床畳、客畳、踏込畳、道具畳、炉畳は半畳に切申候、然共床の付様によりて、半畳を勝手口に敷、丸一畳に炉切申事あり、それは床前丸畳を見申候様に敷申故也、風炉にはいつとても半畳を勝手口に敷申事也、又四畳半の畳敷様、畳の藺筋、客畳と道具畳の縁へ真直に通り候様に、炉如法切也、炉際の畳は、縁道具畳の向の縁ち際に付也、藺筋客畳道具畳と見通す也、畳縁は幅七分也」とあります。
『槐記』に「畳に本末と云ことあり、多は人の知らぬもの也、本末を吟味して敷たるたヽみは少なき者也、気を付けて見るべしと仰られしが、真になきもの也 畳のぬひ出しの方を本とす、目もろくにして、ねじれもなし、ぬひさきは何としても目も半にかヽり、ねじれある故に、炉のきは本の方を敷かねば、じだらくなるもの也と仰らる、十四日参候、畳に本末と云ことありと仰られしを再び窺ふ、仰に、ぬひ出しの所は、きはも正く、目通りも正し、是を本とす、それなりに推出していで、向の方はなり次第にヘリをつくる故に、目通りもなにとしても正しからず、ねじれもあるもの也と仰らる」とあります。
寛政六年(1794)『地方凡例録』に「太閤検地の頃迄は六尺三寸と聞ゆ、今も屋舎等の壱間ハ六尺三寸を京間と云ひ、六尺を田舎間と云、故に田地等も検地の時代知れざる処は、今に六尺五寸四方を壱歩と云ひ習ハせし所もあり、又古検ハすぺて六尺三寸竿を用ることなりといへども、近世は古に復して六尺を壱間とす」とあります。

     
外観  天井    出入口
     
    台目構  水屋

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