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大西浄元
浄林 浄清 浄玄 浄頓 浄入 浄元 浄玄 浄本 浄元 浄雪 浄寿 浄典 浄長 浄中 浄心 清右衛門
大西浄元(おおにし じょうげん)は、江戸時代中期の京都三条釜座(かまんざ)の釜師で、大西家の六代目です。
大西浄元は、四代目浄頓の子で、姓は細野、幼名は清吉、名は重義、通称は清右衛門、浄元と号します。
大西浄元は、のちに九代が浄元を名乗るため区別して「古浄元」(こじょうげん)と呼ばれます。
大西浄元は、表千家七代如心斎の好みに応じ鶴首釜二十口や雷声釜をつくり、西村家四代道爺の死後に千家出入となります。
大西浄元は、釜肌は与次郎狙いで、やや細かい打肌で、焼抜を用いています。
大西浄元は、共箱は丸判の「細野」の印を用いています。
大西浄元は、宝暦十二年(1762)七十四歳で歿します。
『茶道筌蹄』に「浄元 浄清の子也、浄頓(浄元の子)、浄入(浄頓の子)、浄元(浄入の子)、これより道翁死後千家へ出入となる、浄玄(浄元の子)、清右エ門(浄玄の子)早世す故に弟子與兵佐兵衛家をつぐ、後浄元と云ふ、其子清右エ門大西にかへる、弟佐兵衛奥平と云ふ、清は大西、入は廣瀬、初の元井上、後の元細野、佐兵衛より大西」とあります。
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