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大西浄雪

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大西浄雪

大西浄雪(おおにし じょうせつ)は、江戸時代後期の京都三条釜座(かまんざ)の釜師で、大西家の十代目です。
大西浄雪は、九代浄元の長男で、姓は奥平 名は長喬(つねたか)、初名は清吉、通称は三右衛門、のち清右衛門、入道して浄雪と号します。
大西浄雪は、表千家十代吸江斎より「弄鋳軒」(ろうちゅうけん)の軒号を受け、茶席の名とします。
大西浄雪は、大西家一番の多作といわれ、釜肌は至って細かく几帳面な姿の釜が多いといいます。
大西浄雪は、共箱は「三右衛門」「清右衛門」「浄雪」の三種のものがあり、「三右衛門」には「奥平」の印、「清右衛門」以降は「大西」の印を用います。
大西浄雪は、了々斎好みの甑口平釜を多く作り、弘化三年自らの古希の寿に鶴首釜七十口をつくります。
大西浄雪は、十九歳の頃から折に触れ『名物釜由緒聞書伝』を編み、三十六歳で『名物釜記』を著し、天保十四年(1843)『釜の図』八巻を編算し、三千家や諸流派の好物や名物釜の形態などを調査記録します。
大西浄雪は、鑑定にも長じ、箱書のほか極め書や折紙が非常に多いといいます。
大西浄雪は、共箱は「奥平」の印を用いています。
大西浄雪は、嘉永五年(1852)七十六歳で歿します。
大西浄雪は、弟に奥平了保がいます。
大西浄雪は、門人に高木治良兵衛と嘉助がいます。

『茶道筌蹄』に「浄元 浄清の子也、浄頓(浄元の子)、浄入(浄頓の子)、浄元(浄入の子)、これより道翁死後千家へ出入となる、浄玄(浄元の子)、清右エ門(浄玄の子)早世す故に弟子與兵佐兵衛家をつぐ、後浄元と云ふ、其子清右エ門大西にかへる、弟佐兵衛奥平と云ふ、清は大西、入は廣瀬、初の元井上、後の元細野、佐兵衛より大西」とあります。

     
大西浄林  大西浄清  大西浄玄  大西浄頓 
     
大西浄入  大西浄元  大西浄玄  大西浄本 
     
大西浄元  大西浄雪  大西浄寿  大西浄典 
     
大西浄長  大西浄中  大西浄心  清右衛門 

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