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大西浄元

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大西浄元

大西浄元(おおにし じょうげん)は、江戸時代後期の京都三条釜座(かまんざ)の釜師で、大西家の九代目です。
大西浄元は、七代浄玄の門人で信州飯田の人、姓は奥平、名は保房、通称は佐兵衛、はじめ了雪と号し、大西家を継ぎ浄元と改めます。古浄元や浄玄と 区別して「佐兵衛浄元」と呼ばれます。
大西浄元は、八代浄本が早世し世継ぎがいなかったため、表千家八代啐啄斎の取建で九代目を継ぎます。
大西浄元は、古浄元と比肩する名手といわれ、釜作は精妙にして典雅といいます。
大西浄元は、釜肌はどちらかというと 荒肌が多く、晩年になるに従い段々細かくなっているといいます。
大西浄元は、啐啄斎の好みで達磨釜(だつまかま)数百口を造ります。
大西浄元は、共箱は「佐兵衛」で、判は「奥平」の印を用いています。
大西浄元は、文化八年(1811)六十三歳で歿します。

『茶道筌蹄』に「浄元 浄清の子也、浄頓(浄元の子)、浄入(浄頓の子)、浄元(浄入の子)、これより道翁死後千家へ出入となる、浄玄(浄元の子)、清右エ門(浄玄の子)早世す故に弟子與兵佐兵衛家をつぐ、後浄元と云ふ、其子清右エ門大西にかへる、弟佐兵衛奥平と云ふ、清は大西、入は廣瀬、初の元井上、後の元細野、佐兵衛より大西」」「ダツマ 佐兵衛、啐啄斎所持の蘆屋作、鯉の地紋のカマによりて好む」とあります。

     
大西浄林  大西浄清  大西浄玄  大西浄頓 
     
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