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一畳台目

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茶室

一畳台目(いちじょうだいめ)とは、丸畳一畳の客座と台目畳の点前座で構成された茶席のことをいいます。
一畳台目は、茶の点前に必要な台目の道具畳と、客が座るに必要な一畳だけにまで切り詰めた究極の茶室で、茶室の中では最も狭いものですが、炉の位置や板畳を入れることで使い勝手を良くしたり、広く感じさせることも行われます。
一畳台目は、千利休が二畳敷の向小間中(一間の四分の一)を切り落として作ったといわれます。
一畳台目は、古くは一畳半と呼ばれていました。
一畳台目は、隅炉、向切、向板向切、中板隅切、中板向切、中板向板向切などがあります。

一畳台目
一畳台目隅炉は、三渓園の本勝手下座床「金毛窟」(きんもうくつ)などがあります。
一畳台目向切は、古図には宗旦が寛永十年(1633)に利休の聚楽屋敷の一畳半の茶室の寸法で利休所持の障子や潜戸を用いて造り「不審庵」と称した、床無の一畳半があります。実例としては大本教の本勝手上座壁床「花晨亭」(かしんてい)などがあります。

一畳台目向板
一畳台目向板隅炉は、実例がなく、向板入りは向切が定法とされます。
一畳台目向板向切は、裏千家の宗旦好み本勝手下座壁床向柱「今日庵」(こんにちあん)、表千家の本勝手下座壁床「反古張席」(ほごばりのせき)、角屋の本勝手向斜板上座床「清隠斎」(せいいんさい)、堀内家の逆勝手下座壁床「半桂」(はんけい)、宗徧流山田家の本勝手下座壁床「四方庵」(しほうあん)、吉野太夫好み逆勝手上座壁床「遺芳庵」(いほうあん)などがあります。

一畳台目
一畳台目中板隅炉は、松平不昧好み本勝手上座床中柱「菅田庵」(かんでんあん)などがあります。
一畳台目中板向切は、暮雨巷(ぼうこう)の逆勝手下座壁床中柱「一畳台目席」などがあり、中板を半板としたものには武者小路千家の一翁好み本勝手下座床「官休庵」(かんきゅうあん)などがあります。

一畳台目
一畳台目中板向板隅炉は、実例がなく、向板入りは向切が定法とされます。
一畳台目中板向板向切は、西芳寺の本勝手上座床「少庵堂」(しょうあんどう)などがあります。

『山上宗二記』に「二畳敷の座敷、関白様に有、是は貴人か名人か、扨は一物も持す侘数寄か、此外平人には無用也、又宗易京に一畳半を始て作られ候、当時珍敷こと也、是も宗易一人の外は如何」とあります。
『長闇堂記』に「利休二帖敷に、囲炉を初はすみきりにせしを、さひしきとて、客の方へ入かへけれとも、又客三人の下一人より、亭主の後みへ悪きとて、中へ入かへて、扨さきの一こまいいらぬものとてきりすて、一帖たいめと云也、あかりさきの窓も、此時はしまれり」とあります。
『茶道筌蹄』に「一畳半 少庵好の二畳台目を見て余りに自由過たりと云て利休一畳半を好む、居士葭屋町に住居の節は四畳半と一畳半との小座敷也、一畳半に床を付しは原叟好なり、今浪華長町天王寺屋五兵衛の下屋敷にあり」「二畳敷 利休好なれとも勝手あしきゆへに向を小間中切落し一畳半を好む」「一畳中板 一翁好、風炉先塗廻し、板幅八寸」「惣して四畳半、二畳台目、一畳半、此三座敷が小座敷の濫觴也、其余のこのみはこの三座敷より変し来るなり」とあります。
『逢源斎書』に「一、四畳半には客二人、一畳半には客三人と休御申候、四畳半客二人尤なる事に候」とあります。
江岑宗左の覚書に「一、休、一畳半致シ被申候。大甲御意ニ不入候故、二畳敷ニ致シ、路地之外ニかきして白壁ニシテ、松樹被申候、是も御意ニ不入なおし被申候、又門ノ上ニかく上被申候、是も御意ニ不入、おろし被申候、其時より少ツヽ御意ニちかい被申候」とあります。
『不白筆記』に「床なし一畳半有り、利休好也、宗旦御隠居被成前は此一畳半也、其後は江岑宗左殊の外ひまんにて、宗旦へ御相談被成、今の三畳半の座敷に替る、夫故茶点口抔少々宛ひろし」とあります。

     
外観  天井    出入口
     
    台目構  水屋

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