茶道 > 茶道とは > 茶室 > 間取 > 小間 > 四畳
四畳
一畳台目 一畳二台目 二畳 二畳半 二畳台目 二畳半台目 三畳 三畳半 三畳台目 四畳 四畳半 四畳台目 四畳半台目 五畳 五畳半
四畳(よんじょう)とは、丸畳三畳の客座と丸畳一畳の点前座で構成された茶室のことをいいます。
四畳は、いわゆる長四畳(ながよじょう)の形式と、枡床(ますどこ)の形式としたものとがあります。
長四畳とは、点前畳と客座が同列で横長の間取りをいいます。
長四畳は、『南方録』に伝えられる「長四畳古様」(ながよじょうこよう)という点前座の奥に客座がある縦長のものがあります。これは台目が考案される前のもので、寺の縁側を囲んで、台子を略し風炉の位置に炉を切り下げ隅炉とし、これが向切になり、炉の向うに五寸板を入れることで点前畳を縦五尺八寸畳の田舎間とすることで侘びの茶席を現したものといいます。これがのちに横長の長四畳になったといいます。
四畳枡床とは、四畳半の空間に半畳の床を取り込んんだ間取りをいい、風炉先床とし、台目切、向切があります。
四畳は、その他に特殊な形のものもあります。
長四畳は、西行庵の本勝手向切宗貞囲下座床「皆如庵」(かいにょあん)、恵観山荘茶屋の本勝手台目切下座床「鎖間」(くさりのま)などがあります。
長四畳古様の様式を伝えるものに、等持院の足利義政好みと伝えられる上段付二畳台目本勝手向切風炉先床「清漣亭」(せいれんてい)があります。
四畳枡床は、大徳寺聚光院の表千家六世覚々斎好み本勝手向切風炉先踏込床「枡床席」(ますどこのせき)、武者小路千家の七世直斎好み本勝手中柱台目切風炉先床「半宝庵」(はんぽうあん)、慈照寺(銀閣寺)の本勝手中柱台目切風炉先床「集芳軒」(しゅうほうけん)、松浦史料博物館の本勝手向切風炉先床「閑雲亭」(かんうんてい)などがあります。
四畳枡床の床を向うに小間中伸ばして台目の洞床として逆勝手としたものに、月心寺の向切風炉先床「直心庵」(じきしんあん)があります。
四畳半の空間の点前畳後ろの半畳を斜めに仕切って壁にし給仕口を開け三角の地板を敷いたものに、松尾家の不染斎好み本勝手中柱台目切鱗板入下座床「松隠亭」(しょういんてい)があります。
『南方録』に「深三畳と、長四畳、根元を分別すへし、図にて明らか也、深三畳は道具畳向の方、一尺五寸切て其分、板にし、板のうへに風炉、水指、杓立、こぼしなと置しは、深三畳切りし古の事也、茶入、茶碗はこび出て立し也、其後向炉を切事に成ては、この板の前につけて、一尺四寸の炉を切し也、夏は、板のうへに土風炉をも後には置し也、長四畳は、道具畳の向に五寸板を入たり、常の向炉は向に二寸五分の板を入てよし、三寸までは不苦、台子のかねわりよく分別すべし」「長四畳は、深三畳より後のしつらひなり。図末に記す。これらはみな、囲の類にて、諸事不自由なり。それゆへ近来まれに成たり。」とあります。
『逢源斎書』に「長四畳敷、三畳敷は何時もいろり上て切申がよく候」とあります。
『茶道筌蹄』に「長四畳 元伯好、大徳寺見性庵にあり、上け台目なり」とあります。
茶道をお気に入りに追加 |