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三畳
一畳台目 一畳二台目 二畳 二畳半 二畳台目 二畳半台目 三畳 三畳半 三畳台目 四畳 四畳半 四畳台目 四畳半台目 五畳 五畳半
三畳(さんじょう)とは、丸畳二畳の客座と丸畳一畳の点前座で構成された茶席のことをいいます。
三畳は、平三畳(ひらさんじょう)と深三畳(ふかさんじょう)とがあります。
平三畳とは、道具畳と平行に畳が横に並ぶ間取りをいいます。
深三畳とは、道具畳より縦長に畳を敷きつめた間取りをいいます。深三畳は、「オク(奥)三畳」「細長い三畳敷」などとも呼ばれます。
平三畳は、古くは向切が定法とされましたが、中柱を立てて台目切としたもの、点前座と客座の間に中板を入れ台目切としたもの、点前座と客座の間に仕切壁と太鼓襖を立てた、いわゆる「宗貞囲」(そうていがこい)、「道安囲」(どうあんがこい)などといわれる形式のものもあります。
平三畳台目切は、金閣寺の金森宗和好み本勝手下げ台目切上座床「夕佳亭」(せっかてい)、江戸千家の川上不白好み本勝手下座床道庵囲「蓮華庵」(れんげあん)などがあります。
平三畳中柱台目切は、称名寺の伝村田珠光好み本勝手上座床「獨盧庵」(どくろあん)、大徳寺聚光院の表千家七世如心斎好み本勝手下座床「閑隠席」(かんいんのせき)、妙心寺桂春院の藤村庸軒好み本勝手下座床「既白軒」(きはくけん)などがあります。
平三畳中柱中板台目切は、大徳寺玉林院の表千家七世如心斎好み本勝手下座床「蓑庵」(さあん)、現代のもので箱根美術館の本勝手上座床「山月庵」(さんげつあん)などがあります。
平三畳向切は、西翁寺の藤村庸軒好み本勝手下座床宗貞囲「淀看席」(よどみのせき)、堺市博物館の今井宗久好み本勝手下座床「黄梅庵」(おうばいあん)などがあります。
三畳中板台目切は、四君子苑の本勝手下座床「珍散蓮」(ちんちりれん)などがあります。
三畳中板向切は、客畳の間に入れた、無限庵の本勝手向切風炉先床の席などがあります。
深三畳は、実例が少なく、『山上宗二記』にいう「細長い三畳敷」は深三畳台目をさし、『南方録』にいう「深三畳」は今では深二畳台目向板隅炉とされるものです。
深三畳は、古くは板の上に風炉釜を置いて茶を点てたといい、板の前に炉を切るようになったのは二畳敷ができた後のことといいます。
『山上宗二記』に「三畳敷は紹鴎の代迄は無道具の侘数寄に専とす、唐物一種成共持候者は四帖半に座敷を立る、宗易異見候、廿五年以来紹鴎之時に同し、当関白様の御代十ケ年の内上下悉三帖敷、二帖半敷、二帖敷用之」「此二畳半之事、紹鴎之時は天下に一つ、山本助五郎と云人、紹鴎之一之弟子也、其人に好候て茶湯をさせられし侘数寄也」「細長い三畳敷、宗易大阪之座敷移也、但し道具持、茶湯の巧者は仕也、侘数寄、初心なる茶湯には無用歟」とあります。
『南方録』に「深三畳と、長四畳、根元を分別すへし、図にて明らか也、深三畳は道具畳向の方、 一尺五寸切て其分、板にし、板のうへに風炉、水指、杓立、こぼしなと置しは、深三畳切りし古の事也、茶入、茶碗はこび出て立し也、其後向炉を切事に成ては、この板の前につけて、一尺四寸の炉を切し也、夏は、板のうへに土風炉をも後には置し也、長四畳は、道具畳の向に五寸板を入たり、常の向炉は向ニ二寸五分の板を入てよし、三寸までは不苦、台子のかねわりよく分別すべし」「深三畳は古作のしつらひなり。図末にしるす。これは板の上に風炉釜をゝきて、茶を立しことなり。その後板の前に一尺四寸の炉を切て茶立ることは、休の二畳敷方寸已後のことなり。」「長四畳は、深三畳より後のしつらひなり。図末に記す。これらはみな、囲の類にて、諸事不自由なり。それゆへ近来まれに成たり。」とあります。
『逢源斎書』に「長四畳敷、三畳敷は何時もいろり上て切申がよく候、平三畳敷と申候」とあります。
『茶道筌蹄』に「三畳敷 江岑このみ」とあります。
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