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大西定林

大西定林 大西五兵衛

大西定林 井桁釜 東京国立博物館蔵

大西定林(おおにし じょうりん)は、江戸中期の釜師で、江戸大西家の初代です。
大西定林は、大西家二代浄清の次男で、名は延貞、通称は五郎左衛門、定林と号します。
大西定林は、寛永年中(1624〜1644)古田織部に随い父の浄清と共に江戸に下向し、定林は江戸に留まり、江戸大西家を興し、幕府御用釜師となります。
大西定林は、釜肌は細かく綺麗な肌で、美しい地紋が入れてあり、羽落はなくみな毛切で、焼抜がされており、鐶付は殆ど鬼面で、異なったものは少ないといいます。
大西定林は、小堀遠州好の釜が多く、遠州の所謂「綺麗さび」に合致した端麗で清楚な趣の釜を鋳出しています。
大西定林は、また宗徧好の箆被風炉釜、四方釜、山道釜、雲龍釜などや鴻池家伝来の覚々斎文字入りの大角覆輪釜、その他井桁釜、からげ釜など変わった形の釜も作ったといいます。
大西定林は、正徳二年(1712)の増上寺六代将軍文昭院伝(徳川家宣)霊廟前の銅灯籠七基、芝泉岳寺の享保四年(1719)銘梵鐘などがあります。
大西定林は、享保十二年(1727)歿します。

芝増上寺文昭院殿霊廟銅燈臺両基に「土浦城主土屋政直献納 正徳二年壬辰十月十四日 御鋳物師法橋大西定林作」、同一基に 「藤原朝臣綱村献納 正徳二年壬辰十月十四日 冶工法橋橘姓大西定林延貞作」、同両基に「陸奥守藤原朝臣吉村献納 正徳二年壬辰十月十四日 冶工法橋橘姓大西定林延貞作」、同両基に「羽州山形城主堀田氏紀正虎献納 正徳二年壬辰十月十四日 冶工法橋橘姓大西定林延貞作」とあります。
『茶道筌蹄』に「浄清 浄林の弟也、兄弟共に織部公に随て関東へ行く、浄林は江戸に足を止め御釜師となる、浄清は京へ帰り住す」とあります。
『茶家酔古襍』に「定林 上手、享保十二年死す、宗徧好箆被風呂釜、四方釜、カラケ、雲龍」とあります。
元禄十七年宝永元年(1704)武鑑に「御釜師 鑓屋丁 釜屋五郎左衛門」とあります。

     
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