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十三畳半

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十三畳 廣誠院書院

十三畳 廣誠院書院

十三畳半(じゅうさんじょうはん)は、京都の廣誠院(こうせいいん)書院などがあります。
廣誠院(こうせいいん)は、明治時代中期に数寄者の伊集院兼常(いじゅういんかねつね )によって京都二条木屋町の長州藩邸跡に隠居所として建てられた邸宅です。
廣誠院書院は、台子畳三畳敷の床を構え、床脇の一畳の奥に地袋を設けたもので、点前は主に台子を飾って行います。
伊集院兼常(1836〜1909)は、旧薩摩藩士で早くから建築造園に才能を発揮し、薩摩藩士時代は藩主島津斉彬に見出され江戸薩摩藩邸の建築や西洋建築に取り組み、明治維新後は海軍省に入り明治十一年工部省営繕局に転じてまもなく退職して鹿鳴館の建築に従事し、渋沢栄一と日本土木会社(現在の大成建設の前身)を設立するなど官僚・実業家として活躍し、また増田鈍翁を始めとした多くの数寄者と交流したいわゆる近代数寄者の一人で、後援者として裏千家を庇護しました。

     
外観  天井    出入口
     
    台目構  水屋

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